スケジュール帳がビッシリ?「忙しいが美徳」は大間違い。人間の器量は「暇の使い方」で決まる【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」6 〜暇こそ本番〜
■「暇を活かせる人」は、五感が高まっている人
「暇」には、スケジュール帳に認められる余白としての暇とは別の暇があります。それは、突然、来訪する暇、予定が狂ってしまった結果としての暇です。スケジュール帳での余白は、予め心の準備が可能ですが、こちらはそうはいきません。電車や飛行機が遅れたケースが相当するでしょう。
さて、なんらかの事情で列車が動かなくなりました。あなたはなにをしますか?
時間を押すことはムリだとわかっています。でも、気持ちとしては、列車を押したくもなりませんか? アランは言います。
「目を開いてごらん。楽しみを味わいなさい」
「列車は動かない」、この見極めが大事です。「列車はいつでも時間通りに動く」は、「臆断」だとアランは教えてくれます。だから、「動かない」を「動かす」に変えようとするのは、臆断に囚われている証拠なのです。
わたしたちが肝に銘じるべきは、「暇なときこそ集中できる」です。暇にこそ主体的な集中が許されているのです。
アランは、「列車の振動、旅の物音に耳を澄まそう。谷や山や川に目をやろう」とアドバイスしています。一見、退屈している人との違いがなさそうですが、顔を見れば一目瞭然です。
退屈している人は、ハリがなくだらけた顔をしています。きっと感覚もだらけてしまっているのでしょう。感覚自体は楽しむ準備ができているのに、なんとももったいないですね。
いっぽう、「暇を活かせる人」は、五感が高まっているはずです。あなたが集中すればするほど、それだけ世界もまた、あなたに集中しています。ということは、真剣な人はそれだけ世界も人生も豊かになっているのです。
「人生には、生き生きした、一銭もかからない楽しみがいっぱいある。でも、人はそれを十分には楽しんでいない。あらゆる国の言葉で貼り紙を出す必要があろう、『目を開いてごらん。楽しみを味わいなさい』」
アランがこの警鐘を鳴らしたのは1910年でした。それからもう、百年以上が経ったのですね。さて、わたしたちの仕事や家族の環境はどのように変化したことでしょう。おそらく、予定に苛まれるばかりに、目も耳も塞いでしまっている人々の数は、同時よりずいぶん増えたのではないでしょうか。
それでも世界のほうは、今も昔も変わらずに楽しさに満ちています。それを感じられないのは、世界ではなくわたしたちが変わっているからですよね。